小学校書写の便利グッズ。
小学校3年生からはじまる
書写の毛筆。
うちの小学校では
(洗う時間がかかる、水道がよごれるなど)
学校側の事情から
学校で筆を洗わずに
家で洗うように指導されています。
もちろん本人が洗うのですが、
うちで筆を洗うって
なかなかの手間です。
まず、洗面所が否応なく汚れます、汗。
こどもが筆や硯を洗ったあとの
洗面所はひどいことになります。
なので洗面所の掃除ももれなくついてきます。
長女はそれでもそこまで汚さずに洗いますが、
これが長男、男の子ともなれば
惨憺たる洗面所が予想されます。
そして、忘れずに洗えばいいのですが、
洗い忘れて筆がカピカピという
あるあるも予想されます。
なので、うちでは
この筆を使うことにしました。
それは公文習字でも使っている
洗わなくてもよい筆です。
洗わなくてもいいので
とっても便利なうえに
長女に言わせると学校推薦の業者で
買った筆よりも書きやすいようです。
洗い忘れすることもないし
洗面所を汚すこともない
一石二鳥な筆です。
ご参考まで。
こどもの学習にインテリア要素は必要ナシ。
最近、こどもが
テレビをみたり、ニュースをみるなかで
「○○(国の名前)ってどこにあるの?」
と聞いてくることが多くなり、
地球儀があれば便利だなと
思っていました。
以前、こどもの机まわりに
無印の地球儀をおいていました。
シンプルな地球儀、
自分色に塗れるというコンセプトに
ひかれて購入したものの
インテリア地球儀になっていました。
結局、この地球儀、
日本を赤で塗ってみたものの
インテリアとしての要素だけで
学習としてはまったく役立ちませんでした、汗。
そして、こどもたちがさわって遊んでいるうちに金具がはずれ、壊れてしまいました。
そして、今回、あたらしく地球儀を購入。
ランドセルラックの上におくので
コンパクトなタイプがよく、
また、カラーで見やすいものという条件で
さがしてこの地球儀を買いました。
とてもみやすく、
こどもの学習にインテリア要素はまったくいりませんでした。
小1男子のランドセルまわりは
ランドセルラックの上に
教科書、ノート、図書室で借りてきた本、ワークなどをいれるファイルボックスをおいています。
小1長男、最近、図工と折り紙にはまっていて
図書室でも工作関係の本を借りてきて
家でも工作に夢中になっております。
小1だと教科も少なく、
毎日ある国語や算数などの教科書は
つねにランドセルにはいっているので
いまのところ、このファイルボックスの容量でたりています
引き出しには学用品のストックをいれています。
赤裸々なママ友トラブル告白します。
オトコノコはかわいい??
ってよく聞きますね。
ヨミドクの宋美玄さんの
ママライフ実況中継でも
取り上げられていましたので
よくある話題のひとつだと思います。
「男の子の方がかわいいよ!」に違和感。皆さんはどうですか?
「男の子と女の子、どちらがかわいいか?」なんて、やっぱりナンセンス
男の子と女の子、
どちらがかわいいかなんていうのは
宋さんの言うとおり、
ナンセンスでありますが
男の子と女の子を育てている
わたしからみると
ちがいはあるのかなと感じます。
わたしの経験ですので
すべてには当てはまらないと思いますが、
小3になる長女はとても育てやすい子です。
長女という立場がそうさせてしまっている
部分も否めませんが
とても頼りになり
長女がいなかったら
この生活は成り立たないのだろうなと
思っています。
その分、何かと頼りにしてしまっているので
長女には意識して
甘えさせてあげています。
長女が「〜して」と言ったことは
どんな小さなことでも
わたしに余裕のあるときには
手伝っています。
長女もまたそのあたりを
心得ているのか
わたしが下の子たちに手を焼いているときには
絶対に頼まないことも
わたしに余裕があるときには
アレコレ頼んできます。
長女がとても育てやすい子だったので
小1長男、4才次男には
本当に手を焼いています。
長男は小学校入学を機に
成長した感はありますが、
特に最近の次男の事あるごとの反抗には
辟易させられます。
なんというか
女の子も男の子もとてもやさしいのですが、
女の子は基本常にやさしいので
それが当たり前になってしまう
部分がありますが、
男の子はたまにやさしいので
そのやさしさが身にしみるところがあります。
男の子、男の子とつづくと
ケンカの頻度も
姉弟とは比較にならないほど多いし激しいので
男の子兄弟を育てている方の
苦労は身にしみてわかります。
どこのご家庭でもそうだと思いますが
あそんでケンカする
ケンカしてあそぶ
あそんでケンカする
ケンカしてあそぶ
の繰り返しです。
きょうだい喧嘩ばかりしているときに
親としてどう仲裁していいのか
悩んだ時期があって
保育園の先生に相談したら、
「きょうだい喧嘩はきょうだいがいないと
できないんだから
きょうだい喧嘩ができるのはしあわせよ」
と言われ、
そのときのわたしには
解決にもならない答えをいただき、
いや、そういうことを求めていたんじゃないんだけど・・・
と思っていたのですが、
まあ一理あるのかもしれません。
ケンカもふくめ
人間関係を学ぶには
一切の妥協がなく
生身の人間どうしのやりとりができる
きょうだい間は一番の学びの場でしょう。
うむ順番もうむ性も
親が選べるものでもなく
こどもが選べるものでもなく
きっと、いまある形が
それぞれの家庭でのベストだろうと
感じています。
若さってプライスレス。
とにかく一人暮らしをしたくて
こどもとネット、親の役割。
小学生からパソコン学習がはじまる
ということで
考えさせられました。
デジタルネイティヴ次世代の
(デジタルネイティブ第2世代とか
ネオデジタルネイティブというそう)
こどもをもつ親世代にとって
こどもの学力教育と同様に
求められるものはネット教育なのだろう
とも思います。
わたしたちのこども時代には
思いもよらない想像もつかなかった
ネットという世界がいま、
こどもたちの目の前にあり、
そこでは見ず知らずの人と
簡単に知り合うツールが満載です。
現時点でさえ、
インスタにフェイスブックにツイッターに
あげればキリがないほどの
SNSが充実しています。
そしてこれからも進化し続けるであろう
アプリの数々。
必要以上に畏怖することはないのですが、
そこには、想像もつかない危険性も
あることは間違いのない事実です。
匿名性を盾にしたやりとりや
閉鎖性を良しとしたやりとりなど
親の関知しない世界が
こどもたちのすぐそばにあることを
親自身も認識し、
そしてそれらの世界は遮断しようと思っても、
簡単につながることのできる世界であり、
では、それらとどのように
付き合っていかなければいけないかを
親が責任をもって教育していく
時代になってきています。
フィルタリングで制限する
使う時間や場所を制限する
などはネットのルールとして
よく聞くところです。
ハード面はコントロールできても
ネットの世界とどのように
付き合っていけばよいかとかいう
ソフト面の教育は一朝一夕には
むずかしいところがあります。
わたし自身が感じるのは、
言葉は人と人との大事な
コミュニケーションツールであることは
いうまでもないことですが、
言葉が凶器にもなり、
独り歩きもしてしまう部分
それは、アナログでは
歯止めがきくことであっても
デジタルという世界では
何倍にも何十倍にも
増幅されてしまう危険性もあるということ
そして、それらを感じる、
想像することのできる
想像力が必要であると思います。
じゃあ、それらをどのように
こどもに伝えていくのか、
学校でのパソコン教育には
限界があるでしょう。
結局は、親とこどもとの
日々のコミュニケーションであり、
日常の何気ない会話のなかで、
言葉を大事にし、
想像力をゆたかにさせていく
実体験をもってしか
こども自身も学ぶ術はないのだとも思います。
書いていても自分で
何を言わんとしているか難しい、
じゃあ、それをこどもに教育するのは
もっともっと難しいことです。
勉強の面白さを知るタイミング。
わたしもオットも 地方出身なので