ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

シニア世代の情報格差。

シニアの定義も変化
  
シニアとは65才以上が
高齢者のくくりに
なるようです。
 
実母と義母はたまたま同い年で
60代も半ばなシニアの仲間入り
となりました。
 
ですが、実感としては、
60代半ばなんて
まだまだ現役世代と大差ない。
 
個人差は大きいでしょうが、
感覚的には70代半ばからが
シニアといわれてしっくりくる印象。
 
実際、日本老年学会では、
活動的な60代のシニア世代の
増加を受け、
75才から89才を
「高齢者」と定義しているそう。
90才以上は「超高齢者」とか。
 
アクティブシニアな実母と義母
  
実母も義母も働いているので、
まだまだ現役感があり、
アクティブシニアな部類だと思います。
 
義両親は、とっても仲良しで、
私が夫と結婚して
カルチャーショックのひとつに
こんなに仲の良い夫婦がいるんだと知ったこと。
 
買い物に行くのもどこに行くのも
夫婦いつもふたり。
おしどり夫婦っていうのを
実際に見て衝撃でした。
 
暇ができれば、ふたりで温泉巡り。
お気に入りの演歌歌手がいて
年に1度、夫婦で東京に
コンサートをみにくるし、
余暇も仕事も楽しんでいるご様子。
 
一方の実母も、週に数日、1日短時間と
仕事をほどほどにセーブしつつ、
余暇は、スポーツボランティアを
生きがいにして勤しんでいます。
 
長期休みをとって、
全国津々浦々ひとり旅するのも趣味。
 
シニアの情報格差
 
そんなアクティブシニアな実母と義母ですが、
決定的にちがうのは情報リテラシー
 

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一般的には、高齢者は「情報弱者」とよばれがち。
 
実母は、仕事上でもPCを使う機会が
あるので 、ビジネスでは簡単なPCの
入力作業はできますし、
プライベートではスマホを使い
アプリも使いこなしてます。
 
ラインはもちろん、
お店の割引クーポンも
使いこなしたり、
旅のスケジューリングしたり
乗り換えもスマホで調べ、
最近のボランティアの登録は、
ネットから個人情報を入力して
登録するのが主流になっているらしく、
(以前は、郵送などのアナログ)
情報のやり取りのすべてオンラインだそう。
 
最初はパスワードの設定など
四苦八苦していて、
弟家族に助けを求めていたようですが、
自分でできないとボランティアに
参加できないということで
魂に火がついたのか試行錯誤して
ログインもようやく一人でできるようになり
なんとか時代の波に取り残されれずに
情報機器を使っています。
 
一方の義母は、いまだにガラケー派。
 
スマホなんて使えないと
手に取る気すらなく、ガラケー歴長し。
 
そして電話できれば問題ない、といって
メールすら覚える気はなかったのですが
どういう心境の変化からか、
去年、突然のメールデビュー。
 
たどたどしい文面ながらも、
義母はメールでのやり取りができるように!
 
ただ、ガラケーなので調べ物とかは難しく、
何かあると、夫に◯◯調べて、教えて、
とメールしてくるのが
夫もちょっと鬱陶しいようです。
 
シニアの情報格差が確実に開いている
というのを感じます。
 
どこが分岐点なのかなと思って考えてみると
結局は、「やろう」と思う意欲と
「わからないことは聞く」という
積極性がカギなのかと思われます。
 
そして、大事なのは、教えてくれる人、
わからないことを聞ける人が
そばにいること。
 
実母はおひとりさまシニアですが、
独立した私の弟家族が近くに住んでいるので
定期的に会える環境にあります。
 
なのでなにかあると弟やお嫁さんに
あれやこれや聞いているそう。
それから電話会社の窓口でも
スマホの操作方法で
わからないことがあるとすぐに聞くので
受付の方とも仲良くなっているほど。
 
20年後の近未来
 
これから、10年後、20年後、
ITは進化するばかりで、
シニア世代がそれらを使いこなせるか
どうかというのは、
シニア生活を変える大きな要素となるはず。
 
20年前にスマホなど想像できなかったように、
20年後の未来にどんな機器がでてくるかなんて
だれにもわからない近未来。
 
シニアになった自分が
変化に対応できるシニアになるのか
化石のままシニアになっていくのか 

新卒時、奨学金という名の借金。

 

借金からはじまる新社会人
  
大学、大学院在学中に
奨学金を借りていた私には、
大学院を卒業した段階で
350万!という奨学金という名の借金を
かかえておりました。
 
新卒時のお給料なんて20万そこそこ。
社会人1年目に
350万なんて目のくらむような大金の返済。
 
当時の私にはそんな額の返済が
終わるだろう未来なんて、
一生来ないのではないかと
本気で思っておりました。
 
が、コツコツとノロノロと、
アリのようにコツコツと
亀のようにノロノロ
月々返済し続けた結果、
アラフォーにして
ようやく、ようやく、ようやく、
返済が終わりました。
 
 
足掛け約15年の返済。
 
奨学金返還完了証が届いたとき、
「ああ、ようやくおわったんだ」
と感慨深く思いました。
 
奨学金に対するなんとも言えない
感謝と義務を全うした達成感が
あふれでてきました。
 
大学進学について、
実家の経済状況からは
「国立大学」を条件に、
県外の大学に進学することができました。
 
経済的に裕福ではない
家庭状況を知った上で
奨学金を借りることを
決めたのは自然の流れでした。
 
大学で約4万円、
大学院で約7万円を
月々借りていました。 
卒業時、合計約350万。
 
奨学金を借りることに決めたのは、
自分の意思だったので、
新卒時350万の借金を
背負っていたとしても、
奨学金を借りたことに
後悔はなかったし、
親を恨む気持ちも
毛頭ありませんでした。
 
奨学金で何をしたのか。
 
生活の足し、
そして運転免許も取ったし、
旅にもたくさん行った。
 
当時学生の間で流行っていた
放浪の旅、バックパッカー
 
わたしも沢木耕太郎深夜特急にかぶれて、
中国、韓国、タイ、台湾といったアジアを
バックパックひとつもってのひとり旅。
 
そして、留学生の友人の家に
ホームステイしたり
フィールドワークで
タイの農村で数週間過ごしたり、
そんな旅の資金はいつも奨学金でした。
 
学生にとってのお金と時間の価値は
社会人になってからのお金と時間の価値とは
まったくちがうことは紛れもない事実。
 
いま、奨学金で借りていた350万が
手元にあったとして、
学生時代と同じような
時間を過ごすことも経験することもできない。
きっと、こどもの教育資金にまわすだけだろう。
 
こどもに同じ道を?
 
じゃあ、こどもには奨学金という
選択をさせるのだろうか?
と考えてみた時、
奨学金はアリではあるが、
正直、いまのところ正解はわからない。
 
 
奨学金を借りなくても良い経済状況だったら
何もあえて奨学金を借りることを
選択しなくてもいいと思う。
 
と同時に、こどもは経済的な不安や
心配など感じない安定した学生生活を
感謝するのだろうか。
その土台に親の努力を感じるのだろうか。
何不自由のない経済的に恵まれた生活のうえで
勉学できるしあわせに気づくときは
あるのだろうか、とも思う。
 
奨学金は借金にはまちがいないけれども、
奨学金を借りようと、
「借りた事実」が大事なのではなくて、
「返済できる責任能力」が大事なのであって、
たとえ、こどもたちが借りることになろうと、
返済を全うできる社会人に育て上げることが
私の使命なんだというところまでは
思考の整理がついている今。

未来のための重要なお手伝い。

 

夏休みもカウントダウンのはじまり
  
やっとやっとやっと
夏休みも残すところあと数日な
今日この頃、
心なしか夏に秋の気配が
入り混じっているような
朝夕の涼やかな風が
感じられるようになってきました。
 
こどもが科学クラブの宿題で蒔いた
ホウセンカの種が成長し、
花が付き、種ができたらもう秋。
 
夏休みは私が育休中のため
学童に行かずにうちにいる
小学生のこどもたちの
おひるごはんづくりが
一番の苦行だったかもしれない。
 
もちろん、外食もコンビニも
頼ったけれど、
家でつくるおひるごはん率も
高かった夏。
 
そんな夏休みに、
小学校高学年の娘の夏休みの課題で、
家庭科で習った一品を作るという
宿題があり、娘が一人で
焼きそばを作ったのです。
 
それで、わたし遅ればせながら
気づきました。
 
ああ、夏休み、なにも私が
おひるごはんを一人で作ることは
ないんじゃないか、と。
 
夏休みというこの機会に
小学生のこどもたちに、
簡単なメニューを教えながら
作らせる絶好の機会じゃないか、と。
 
気づいたのがもう、夏休みも
折り返し地点を過ぎたころ。

 

料理には勉強要素も
 
それから、こどもには意識して
ごはんを作らせるようにしました。
わたしは口頭で指示するだけ。
 
何かの記事で、料理は一番の勉強だ、
みたいな記事があったけど
確かにそうだなーと納得しながら。
 
おうどんや焼きそば、
チャーハンなどの
比較的お手軽メニューはもちろん、
小3男子にハンバークを作らせてみました。
 
フードプロセッサーで玉ねぎを
みじん切りにするのに
玉ねぎを4等分して入れてとか、
ハンバーグの味付けをするときに
ケチャップとソースは1対1ね
などとちょっとお勉強要素を意識しつつ
言葉で指示するだけで
私は手出ししなかったけれど
ちゃんとハンバーグができあがりました。
 
高校生のこどもがいるママが
以前、「夏休みに毎日こどもにお弁当を
用意しておくのがもうたいへんー」
って嘆いていて、
 
「高校生なら自分で料理しないんですか?」
なんて悪気はまったくなく素朴な疑問で
聞いちゃったけれども、
こどもにちゃんと料理を
教えておけばよかったわ
と後悔しているらしい
 
高校生になったら、
いや中学生くらいでも、
自分のお昼ごはんくらい
作ってくれるとうれしいし、
そうなってほしいので、
未来の自分が楽するために
今のうちからこどもに
しっかり料理を仕込んでおかないと、
と思った夏休みも終盤の気づきでした。
 

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一流企業に疑問を感じる若者たち。

 

  
夫の会社は、
少数精鋭のITベンチャーといえば
きこえがいいですが、
実際は、数年後の未来もどうなっているか
わからない小規模な事業所。
 
起業して、1年以内の倒産は30~40%だとか
年以内に倒産する企業が70%だとか
10年以上存続できる会社は
全体の7%とかいうデータがあるようで
「会社を作ることは簡単だが、
会社(組織)を存続させていくことは難しい」
というのは起業の世界では常識だそう。
 
生き残りをかけた会社運営が
熾烈な世界であるようです。
 
そんななか、夫は最初の会社の同期との
共同経営は2年ほどつづけて解散、
その後立ち上げた会社は
今年で8年目になります。

 

結局は夫の信念にあらがえず
 
決して順風満帆な道のりではなく、
家計にお給料が入らなかったことも
1度や2度じゃありません。
 
でも今のところ、
10名ほどの社員をかかえ、
経営をしている今は、
なんとかかんとか軌道に
のっているといっても
いいのかもしれません。
もちろん、一寸先は闇ですが。
 
私も起業家の妻となり、
第一子妊娠中に夫から
会社を辞めると言われたときに
あんなに必死に反対したのに、
結局、夫は私の反対を押し切って
会社を辞めてしまうし、
 
私がどんなに反対しても怒り狂っても
夫が決めた信念は変わらないと
悟ったときに
これまでの煮えたぎる怒りのようなものが
ふっと溶解したというのか
私の心は決まったというのか、
好きなように人生をいきている夫を
ある意味羨ましく眺めながら
今に至ります。
 
ベンチャーに入社する若者たち
  
社員が一人増え、二人増え、
一人辞め、一人増え、
という感じで少しずつ
組織の体ができつつあります。
数ヶ月前には、
バングラディッシュの若者が入社し、
多様性もできつつあり、
2年前にインターンにきた
関西の難関大学の学生は、
その年の春、夫の会社に入社。
 
 
夫の会社に入社を決めた彼の
心意気やガッツに感服なのですが、
今年は、さらに10名ほどの
インターン生を受け入れるとか。
 
聞いてびっくりな私。
え?いまどきの学生って
ITベンチャーにそんなに貪欲なの?
と思ったのですが、
夫曰く、ITベンチャーに狙いを定めてくる
学生と面接すると、
大手企業やいわゆる
一流企業といわれる会社に
入社することにステータスを感じず、
むしろ疑問を感じている学生が大半だとか。
 
インターンを応募してくる学生は、
早稲田、慶応などの六大学はじめ、
日大、美大などの私大生が
圧倒的に多いよう。
 
ファーストキャリアが仕事人生を決める?
 
これを聞いて私が思い出すのは
ちきりんさんのいう
「最初に働く場所の選び方」。
 
ファーストキャリアをどう考えて選ぶか
についての記事です。
 
ちきりんさんは、
今は35才にもなればビジネスパーソンとしての能力に圧倒的な格差がつく時代
そしてこの差には、卒業した大学名がほとんど影響しない
といいます。
 
大学(院)を卒業して、35才という
10年〜12年で決定的にちがう未来がある。
 
だから『最初にどこで働きはじめるか』が非常に重要になってきた」と。
 
詳しくは記事をみていただくこととして、
ちきりんさんはこうも言っています。
 
大学が一流でも三流でも、35才のときにイケてる人材になれる可能性は変わらない」。
 
そして、一流大学を卒業して一流企業に
就職してしまう弊害も指摘してます。
一流大学をでて一流企業に就職するもまた、人生。
 
そもそも一流企業といったって
未来もつづく保証なんてないのだから、
企業名で会社員人生を選ぶことの方がおかしいのであって、
入社した会社で何をしたいのか、
何ができるのか、自分はどうありたいのか、
という確固たる信念をもっている人が
本当の強者なのでしょう。
 
大学が一流でも三流でも、35才のときにイケてる人材になれる可能性は変わらない」というトリックは実に面白い。
 
などと、言っている私は、
いわゆる安定した大手企業に勤めていて
35才の時点では、育休、復帰、時短、育休、復帰
を繰り返している
マミートラックを走っていて、
そして今なお育休中という
そもそもその土俵にすらあがれていない
会社員人生をもがいています。
 
だからこそ、自分にスキルをつけることを
武器にキャリアアップを目指すのかもしれない。 
 

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ツイッターの層。深海魚と回遊魚がであう面白さとスリル。

 

ツイッター界隈の魅力
  
Twitter歴数ヶ月の
初心者です。
 

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Twitterのお手軽さと面白さが
徐々にわかってきました。
 
 
 
Twitterのつながりって
本当に垣根が低いというか、
いいねやリツイート
お互いに気軽にできる世界ですね。
 
例えば、ブログなんかでは、
コメントを書くというのは
私の感覚ではとても勇気がいる
壁の高い行為ですが、
ツイッターだと「いいね」は気軽におせるし、
リツイートしながらコメントつけるのも
そんなに敷居が高いことではない。
 
私がツイッターでフォローする相手は、
お気に入りのブロガーさん、
共通項がある方、
発信力が強い方などなど。
 
といってもまだ幅広くは
フォローしていないので
10人足らずなんですが、
だからフォロワーも
本当に数人(しかも副業系)だったのが、
ここ数日で突然フォローしてくれる人が
ちらほらでてきました。
 
で、なんでだろうとよくよくみてみると、
1万人以上のフォロワーさんがいる
起業家の方が、
私のツイッターリツイートしてくれたみたいで、
ちょっといや、だいぶ、
びっくりしました。
 
私の観測では、1,000人くらいの
フォロワーがいる方は、
相互フォローしていけば、
ちょくちょくいるかと思うのですが、
1万人以上のフォロワーがつく方って
やっぱりその発言力だったり
その存在感が別格という感じ。
 
そんな方とつながってしまう、
つながれてしまうツイッターの世界に
面白さを感じた次第です。
その予期しない意外なつながりが
ツイッターの醍醐味、面白さである一方、
怖さも。

 

深海魚と回遊魚が出会う世界
 
ツイッターも(ブログもですが)
公開されてしまえば、
もう公のものになるので、
発言も取り消せないし、
広く拡散し、それがいわゆる
「バズり」となることも
あるのでしょうが、
心の準備なく、何気なくコメントした
つぶやきが拡散されたり、
悪意があってもなくても、
いろんな人の目に触れる機会が
こうも簡単に訪れることに、
ツイッターの面白さと怖さを
同時に感じています。
 
例えば、通りすがりの悪意のある人に
横やりをいれられたり衝突される
もらい事故的なリスクもあるツイッター
垣根が低い分、気軽さがたまに仇となる面も。
 
いってしまえば、広い海では
ぜったいに出会うことのない
深海魚と回遊魚がであってしまうのが
ツイッターの世界とでもいいましょうか。

わたしの仕事人生は結局レールの上。でもレールの上を走りつづける今。

 

私の仕事人生、夫の仕事人生
  
私。
「新卒から同じ会社に勤務、転職経験なし。」
一行ですむ私の仕事人生。
 
反面、夫。
「新卒で就職。
数年後に転職してフリーランスに。
その後就職した会社を独立して、最初の会社の同期と共同経営にて役員に。
収入が安定しはじめた頃、自分で会社を立ち上げ起業。
新規事業立ち上げとともに別会社を起業。
両手ほどの優秀な社員に囲まれ今に至る。」
 
簡潔にかいても、これだけの行数を要する夫。
 
 
夫とは、学生時代からの付き合いであり、
最初にあったときから数えれば
もう20年近くの月日が流れています。
 
学生生活、就職、結婚、
転職、フリーランス、起業、経営、
と夫の人生を一番ちかくでみてきた私は
夫の仕事人生をみるとき、
振り返ってわたしの会社員人生は
なんて単調で、
なんて平穏な仕事人生なんだろう、
と思わざるを得ない。
 
私の仕事人生が凪だとすると
夫の仕事人生は荒波。
 
私の仕事人生が路線図のある
レールの上だとすると、
夫の仕事人生は
地図のない海原の上。
 
夫が仕事の話をするとき、
私の仕事人生では接することはないであろう
人たちがいることを知り、
ビジネスの世界の広さを知る。
そして、そんな夫がたまにまぶしい。
 
レールの上を行く未来
 
私の仕事人生は10年後の未来が
ほぼ予測できるけれど、
夫の仕事人生は10年後の未来どころか
5年後の未来も予想できない。
 
でも、レールの上を歩いていくのは私の意思。
 
夫が起業したときにも
「わたしは仕事をやめない」
と決意したけれど、
いわば、私は家族のセーフティネット
 
夫の事業が今度どうなるかなんて
保証されてはいない。
 
でも私の会社員人生は、
今のところ、レールの上を走り続ければ
一応は保証されている未来。
 
そして、産休、育休を何度とっても、
復帰する場所を用意してくれている
ホワイトな会社。
福利厚生も充実。
会社は従業員規模でいえば、大企業。
大企業ゆえに全国転勤は避けられないけれど、
フルタイムで働けば
私が一家を支えていける。

 

キャリアップは自分のために
  
また、レールを降りるのも私の意思。
 
産休、育休を何度も取って復帰できる席を
用意していてくれる会社に対して、
私は感謝の気持ちをもっている。
だから、私は復帰したら、
できる限りの最大限の能力をもって、
仕事をしていきたいと思っている。
 
同時に、
私は、自分の人生もこどもも
家族も犠牲にしたくはない。
自分と家族の健康が一番だし、
家族の笑顔を犠牲にはしたくない。
 
だから、家族を犠牲にしてまでも
仕事にしがみついていく意思は
いまのところない。
 
だから、どこかでポキッと折れて、
退職を決意する日がくるかもしれない。
 
だとしても今の会社をやめたとしても、
働き続けると思う。
 
そのためにも、
どのような道にも進められるように、
仕事をつづけていけるように、
自分のキャリアップのため、
自己研鑽をしているのかもしれない。
 
 
レールの上を走りつづけるのは
今のところ私の意思。
 

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金利は雀の涙。貯金はこれ一択。

 

金利0.001%って0.00001ってよ
  
銀行の金利が0.001%時代、
銀行の利息なんて、
あってもなきにひとしきかなですが、
やっぱり預貯金も大切。
 

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運用をはじめるイロハを学んだ時に、
生活防衛資金として、
FPの横山さんは、月収の7.5ヵ月を
すすめていました。
ので、私もそれに則って7.5ヶ月の貯金は
手元に残して運用をすすめています。
 
貯金は、大手の銀行にあずけていても、
どこも軒並み0.001%時代。
 
そんな状況で預金をあずけていても雀の涙も枯れちゃうくらい。
でも、貯金は大事。
 
だからといって定期に預けて
自由に引き出せないのも
いざという生活防衛資金としては
心もとない。

 

結局のところ財形貯金が強し
  
ということで、
貯金は会社の一般財形一択にしています。
 
財形貯蓄のいいところは、
給料から一定額が自動的に引き落とされるので
知らないうちに勝手に貯まるところ
利率が大手銀行に比べたら
まだマシなところ
そしていざ引き出したいときにも、
手続きは窓口でできるので、
そこまで猥雑ではない
という総合的にみて
平均点高しなところが気に入っています。
 
しがないサラリーマン、
こういう優遇されているところは
利用しない手はありません。
 
思えば新人のとき、賢い同期が、
財形の利率について熱く語っていて、
そのときは遠距離恋愛をしていた現夫と
毎月飛行機で行き来していた当時の私は、
金欠状態で、
「へぇぇぇ」
っていう一言で終わってしまったけど、
同期の言っていたことが
今になって身にしみる。
 
投資もしつつ
コツコツと貯めるところは貯めよう。