ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

夫、起業する。

 

夫が起業した日

 

まわりに起業した人はいますか?
 
わたしにはとてもとても近しい存在に
起業家がいます。
 
それは夫です。
 
夫は起業してもうすぐ10年くらいになります。
 
夫とは長い長い付き合いなので
夫のこれまでの変遷はだれよりも近くでみてきました。
 
年の瀬に、会社を辞めて
起業した夫に思いを馳せてみたいと思います。      
 
夫が、突然の起業。
それは忘れもしない、長女がお腹にいるとき
出産もあと1ヶ月という臨月に、
ついについに会社を辞めて独立しました。    
 
それまでも、ちらりちらりと、
「会社をやめて起業する」宣言をしてましたが、
わたしは、これから第一子がうまれること、
これからの生活の安定をもとめて
事あるごとに猛反対しておりました。  
 
ですが、結局、 夫の意思と行動力が勝り、
夫が会社を辞めたのが長女の出産間近のこと。  
 
夫が退職届をだしたとき、夫の会社の人事の人が言ったのは  
 
「これからお子さんがうまれるのに、大丈夫ですか?」と。  
 
他人から心配されるような退職をし、
そして長女が無事、うまれて数ヶ月たったあたりで、
本当に起業をしてしまった夫。  
 
会社を退職したのち、
起業といっても最初はいわゆる
フリーランス的な自由な稼業でした。
 
その後、共同経営者となる
元会社で同期だった人との共同経営。
 
本格的に法人として仕事をしだしました。
元同期は学歴も日本最高峰の
大学卒の優秀なエンジニア。
 
なにゆえに夫を共同経営者にえらんだの?
ナゾ。 
 
夫の行動力ははやく、
登記簿をとったりオフィスをさがしはじめたり、
銀行から融資を受けるためになんやかんや動いていました。
 
巡り巡って 夫の事業は運と人とお金に恵まれ、
ひとりで起業した吹けば飛ぶような会社が
その後、ひとり、ふたりと人が増えていき、
ありがたいことに今では
両手ほどの優秀な社員に支えられ、
その業界では少数精鋭のいわゆる
ベンチャー起業として認知されているようです。
 
10年前の薄汚れたビルで登記したときからは
想像もつかないのですが、
今では大使館も近くにあるような
都心にオフィスを構え
税務調査もはいるようなので
(わたし、税務調査ときいて、
最初、何?不正?脱税?とあらぬ心配をしたのですが)
黒字化が続いている事業所も
抜き打ちであるようです。
 
まあ順調なのでしょう。
 

 

仕事やめられないな、わたし

 

さて、動き出してしまった起業。
そして、わたしがひとつ決意したことがあります。
 
わたし、仕事やめられないな。
 
夫の起業が頓挫したら
夫は主夫になってもらって
わたしが一家をささえよう ということ。
 
幸い、わたしは正社員で
比較的規模の大きな会社に勤めており、
福利厚生も手厚く、
バリバリ残業すれば 一家を支えるくらいは稼げるはず。
 
家も社宅や借り上げ社宅を利用すれば
まあ、生活費もなんとかなるだろうと
頭の中は堅実な考えでいっぱいでした。
 
軌道にのるまで、苦労しなかった、
といえば ウソになります。
 
振り返れば、なんとかなっていましたが、
あの不安定な生活、
毎月、定額の収入が見込めない不安、
この先、この状況がずっとつづくの?
という先の見えぬ恐怖、
精神衛生上、あまりよろしくはなかったのは事実。
 
泥舟に乗ったとはまさに あのときのこと。
どちらにすすむのかも
どこへ行くのかも
はたまた沈没してしまうのかも
先の見えぬ不安と引き換えに手に入れたもの。
 
それは 自由!!
 
出勤時間も決められていない
ノルマも決められていない
休みも自由 なにもかもの制約から解き放たれた夫。
 
不安定さと引き換えに手に入れた自由は
ともするととても危険なものです。
が、ひとりめ育児で
てんやわんやしていたわたしは、
夫が比較的自由にうごけることは
とても助けになりました。
 
もちろん仕事の時間も確保しないと
いけないのでずっと自由というわけではありませんが、
間違いなく、自分のペースで仕事を自由に
コントロールでき、融通をきかせられました。
 
朝のたいへんな時間帯や夕方の黄昏泣き
はじめての子育てで不安ななか、
在宅率の高い夫はかなり
ありがたかった思い出があります。
 
仕事のスケジュールから目標から
やり方から進め方を自分ですべてコントロールし、
自分の意思で決められること。
 
これは組織に属している会社員には
なかなかできないことだと思います。
 
といっても、 起業して自分の稼ぎ次第で
報酬が決まるという
要は自己責任のなかでできたこと。
 
夫のプレッシャーはそれなりにあったのかと
思いますが、生活苦というほどまでには
困窮もしていなかったように思います。
 
それは、いざとなったら
わたしがはたらけるという安心材料や
そんなに贅沢しなければ
一家3人仲良く暮らせるほどの
蓄えと収入は確保されていたのだと思います。
 
不安定さと自由は表裏一体。
 
そんな状況から少しずつ
コンスタントに稼げるようになり 収入もあがり、
ようやく安定をつかめたように 思いました。
 
共同経営とはいえ、 フリーランスにも近い働きかた、
自由と収入のバランスがほどよくなり このままいくのかな?
と思ったら またもや夫が果敢なチャレンジをしだすのです。
そして後日知った、衝撃の事実もあり・・・つづく。