ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

ワーママの分岐点。

 
全国異動の壁
 
辞令の足音が響く季節になりました。

毎年、この季節特有のざわつく雰囲気、
打診の足音にそわそわしだす職場、
全国転勤のある私にとっても
このスリリングさは避けては通れません。
 
ワーママであろうと転勤という辞令がでたら
東へ西へ北へ南へとうごく会社員です。
 
私は今は育休なのですが、
そんな育休中の私にも
ちらほら同期や同じ部署のメンバーの
異動情報の囁きがきこえてきます。
 
全国転勤とわかって入社した会社。
自分にとって仕事の意義、
社会的意義、使命に燃えて
入社した会社ではあるものの、
全国転勤というハードルは、
働く母になって、さらに高く険しいものとなりました。  
 
今の部署は 現場をはなれた研究職。
ありがたいことに自分のペースで仕事の
スケジュールをたてられる業務なので
急なこどもの熱などで休むときも
融通がきく部署です。
 
唯一のネックは長距離通勤。
往復の通勤時間を考えると
やり場のない気持ちにもなります。
 
でも、今のワークライフバランスを考えたら
この部署が一番働きやすいのも事実。
時短勤務もでき、比較的休みもとりやすい。
 
また多角的に組織をみるうえでも
いろいろな部署を経験することは
自分にとってもプラスになるはずと
前向きに考えています。
 
初任地からの転勤


思い返せば、初任地は
はるか遠くの地、宮崎県でした。


どげんかせんといかん
で一時期脚光をあびましたが、
それよりももっと前のこと。

赴任するまで宮崎なんて行ったこともなく、
もちろん知り合いもいない陸の孤島に配属され、
20代のまだまだ若かりし自分は
ずいぶん悲観しました。

でも、振り返れば宮崎は最高の初任地だった。

高千穂も都井岬日南海岸も綾町も日向夏
忘れられない思い出です。

そんな宮崎からの異動先は本部。

いわゆる栄転といわれる異動でしたが、

異動先は超多忙な部署。

同期からは羨望半分、同情半分という感じでした。

まだ20代の理想に突っ走るあの時期に
残業も休日出勤も全国出張もあたり前、
激務にたえ、
大きなプロジェクトを任されたあの頃、
精神的重圧も計り知れなかった日々ですが、
プロジェクトを成し遂げたときの
安堵感と達成感はひとまわり自分を成長させてくれたと胸を張っていえます。

じゃあ、あの頃のように
いま、同じことができるか?といえば

今はもちろんできない。
 

ワーママの分岐点

 
結婚し、こどもがうまれ、
ワークライフバランスを考えて
今の部署に異動希望をだしました。


第一線でバリバリとは程遠いです。

正直にいえば、同期や後輩たちが
第一線で活躍する姿はまぶしい。

 

でもこの選択に後悔はない。
ないと言い聞かせている。
だって、今は優先すべきものが目の前にある。
ワーママの分岐点、どっちが正解かなんてわからない