男勝りと女々しい。
ジェンダーを絡めることのイカン
大会組織委員長を巡って
連日騒がれていますが、
今度は自民党の重鎮の「男勝り」発言が
炎上しているそう。
新会長を擁護するつもりで
「スケート界では男みたいな性格で、ハグなんてのは当たり前の世界です。それをセクハラだと言われたら、これはかわいそうだなと… 」
との発言。
後にバッシングを受けて
「男みたいな性格」を「男勝り」と
訂正したそうですが、
そういうことじゃなく
そもそもの言葉を選ぶ感覚の底にある
男性優位の意識がにじみ出ていると
言わざるを得ない。
この渦中にその発言はNGであろうと
気づけないのは時代錯誤な鈍感さ。
このニュースを扱ったコメンテーター曰く、
英語には「男勝り」のようなジェンダーを使った評価はやっぱりないです。何で男性が(評価の)尺度になっているのか?この疑問がやっぱりすぐ思い浮かびますね…
訂正が訂正ではなくなっていますけれども、今の時代、誰かを評価する時に性別が出てくる言葉というのは適切ではないと思うんですよね。
性別でくくらない他の言い方に換えていく「言い換え力」、そういう言葉教室なんかも必要かもしれませんね
などと発言しています。
まったくの同感。
「男勝り」や「女々しい」などの
言葉のなかには
本来の言葉にはジェンダー差別の意識は
なかった言葉であろうが、
時代の感覚っていうのか
時代のなかに溶け込む言葉には
時としてその意味合いやニュアンス
が変化していくことは往々にある。
それをしかも、このような状況で
ジェンダー差別を助長させる言葉を
無意識に使ってしまう
その無頓着な意識こそが
問題なのである。