ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

「甘え」と「甘やかし」の線引きがいまもむずかしい。

「甘えさせ」てもいいけれど
「甘やかし」てはダメだなんていうけれど、
いまだにその線引きがむずかしい。  
 
なんとなくわかっているような気もしつつ
でも、個々のケースに当てはめると、
はて、この場合は どっちが正解なんだろう?とよく悩むことがある。
 
そして今も、悩んでいる。
 
先日、学校の主催する教育アドバイザーの講師の方の講話があって、
授業参観がてら聴講してきたときにも
わたしにとっての子育ての命題ともいうべき質問をしてみた。  
でもやっぱりよくわからない。  
 
 
によると
 
1)ゲームやと競争で一番になれず怒っている子どもに、わざと負けて勝たせてやる
→甘やかすこと
 
2)上手に食べられないので、ママが食べさせてやる
→甘えさせること
 
3)子どもが自分で片づけられるのに親がやってしまう
→甘やかすこと
 
4)転んだとき、“痛い、痛い”とママのところへ訴えにきたときに優しく“痛かったね”と慰めてやる
→甘えさせること
 
5)菓子や玩具を子どもが望めばいくらでも買ってやる
→甘やかすこと
 
6)眠いときや疲れたとき、“ママ、抱っこ~”と、せがんできたとき、抱っこしてあげる
→甘えさせること
 
7)ジッパーや靴ひもなど、自分でできないことを“ママやって”と頼まれ、結んであげる
→甘えさせること
 
8)もう少ししたら食事なのに“お腹が空いた~”とわめくので、お菓子を与える
→甘やかすこと   
 
ひとつひとつ例をあげられれば
納得するけれど、
でも、例外もありうるわけで
背景もちがう状況もあるわけで
だから親はいつでも惑うし困惑する。  
 
この説明はしっくりきた。
 
“甘えさせること”は、人が対象になり、何か物を与えることではありません。 情緒的な欲求を満たしてやったり、越えられないハードルをサポートしてやることです」  
 
なるほど、おもちゃやお菓子で釣るのは
やっぱり甘やかしなのか。
 
でも、親的にはラクな方法を
NGと言われちゃうと
それはそれでこどもが愚図ったり
駄々をこねるとき
親にとっては悩ましい。  
 
というのは、長男、
タガメへの恋がまた再燃中。
 
タガメへの淡い恋心を抱いたのは
2ヶ月ほど前のこと。
 
 
そのとき、いろいろと話して
終わったかに思えたのですが、
やっぱり、タガメが諦められないとなり、
それでも、タガメを獲りに行くことは
現実的には不可能で
長男の要望は、 
じゃあ、タガメのフィギュアで我慢する!
ってなったんです。
 
わたしも、ここは買い与えて(甘やかして)
なるものか、と譲らず、
そうしたら長男、
自分のもらったお年玉で買う!と言ってきかず
わたしも折れて、アマゾンでポチしたのです。

 

この場合は甘やかした?
甘えさせた? 
どっちなの???
モノで結論づけたのなら
やっぱり甘やかし?
 
で、それから、そのフィギュアを
大事に大事にしていて、
水槽にいれてタガメを飼っている
シミュレーションしてみたり、
なんだかいじらしいほど
タガメへの愛情をもつ長男。
 
図書館でタガメの本をいろいろと借りてきては
どこに住んでいるのか熱心に調べていたり、
カマキリ先生のタガメ捜査班のDVDを
何回も食い入るようにみて、
タガメはどうやら栃木県にいるらしい
という情報をつかみ、
「栃木県に行きたい!」
と毎日のようにせがんできます。
 
でも、親としては
栃木県のどこに行けばいるのかも未知、
行ったとしても、
タガメが捕まえられる可能性は
限りなくゼロに近い、
そう現実的にわかっていて
栃木県まで行くという選択はとれず。
 
そんなこんなな日々に、
またタガメ熱が再燃し、
夜、どうしてもタガメがほしい情熱的に
訴えかけてきたのです。
 
いろいろ話していくうちに
感情的になり泣き出してしまう始末。
 
もう、甘やかし上等、
売っているタガメを買っちゃった方が
楽なんじゃないか、
って思ってしまうわたしと、
いやいや、それはちがうんじゃない、
っていうわたしが交互に現れては
消えています。
 
こどもの情熱に付き合うのは骨が折れる。