ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

目の前で突然人が倒れたら・・・地域の助け合い。

 
登下校中のこどもが泣きじゃくっていたら・・・
   
先日、家の100mほど先の道端で
登校中の男の子が、号泣してました。

周りに響き渡るその泣き声は
ちょっと尋常ではない風で、
「何事だろう?」と遠巻きに眺めている
通行人も数名いました。  
 
私は、ちょうどこどもの登園の送迎中で
たまたまその近くを通りました。
 
私よりも先に自転車に乗っているおばさまが、
その男の子に声をかけていました。
 
おばさまから聞く情報では、
「小6の男の子に突き飛ばされて
怪我をしたらしい」
とのこと。
 
怪我の程度は切り傷程度でしたので、
救急車をよぶとかそのような
大事ではないものの、
男の子はしばらく号泣していました。  
 
わたしは、保育園の送迎中で、
実はその日にかぎってどうしても8時半までに
保育園に行きたい用事があり、
なので、おばさまが見守ってくださるなら
お願いしようかな、なんて思いもちらりと。
 
でも、実は、おばさまもバスの時刻があって、
先を急いでいる風でした。
だから、私が声をかけたところ、
「ああよかった」という渡りに船という
感じで、私にバトンタッチし、
おばさまも安心して、その場を去りました。  
 
なので、私がおばさまから引き取って、
男の子の状況を確認すると、
このまま登校して学校の保健室に
行って手当してもらった方がいいと
判断しました。
 
でも、男の子が号泣していて
付き添いが必要な状況。  
 
私は、保育園の用事が気になりながら、
どうすべきか逡巡していました。
 
と、そのところに、
近所のA子ちゃんとA子ちゃんのお父さんが
いっしょに学校に登校する姿を見かけました。  
 
わたし思わず、A子ちゃんのお父さんに
声をかけました。  
 
「男の子がこれこれこういう事情で
怪我をしている風で、
保健室に連れて行った方がいいと思うんです。  
A子ちゃんのお父さんは学校まで
A子ちゃんと行きますか?」  
と聞くと、学校まで行くというので、
その男の子をA子ちゃんのお父さんに託して、
私は安心して、
保育園に行くことができました。  
 
 
地域の見守り、助け合いって
   
私も保育園の用事に遅れることなく、
保育園に無事、到着したのですが、
地域の助け合いって
こういうことなんじゃないか
としみじみ思ったものです。  
 
朝はみんな急いでいる。
でも、困っているこどもがいる。
そうしたら、だれかが助けてあげる。
その誰かは決してひとりじゃなくっていい。
みんなで手分けしてできる形で
助けあえるのが
地域の助け合いなんじゃなかろうか。  
 
もし、自分のこどもが困っているときに、
親切な地域のだれかさんに
助けてもらったら
すごくうれしいし感謝する。
 
だから、自分もできることをしよう
と思った。    
 
 
目の前で人が突然倒れたら・・・
   
もう、ひとつの出来事。  
 
数ヶ月前の出来事ですが、
私が出先から家に帰っきたときに、
家の10mほどのところで
自転車に乗ったおじさまが
ふらふらと倒れだして、
自転車ごと転倒しました。
 
私、びっくりして駆け寄りました。  
 
最初、酔っているのかな?
なんて思いましたが、
そういう感じでもなく意識が
朦朧としている様子でした。
 
「大丈夫ですか?」と声をかけても
反応なく、 目はうつらうつらと
焦点があわない感じで、
ぼーっとしています。  
 
私、咄嗟に「てんかんかな?」
とも思いました。
 
職業上、てんかんの発作の
知識はありましたので、
てんかんの欠神発作の状態に似ていました。
 
てんかんの症状や発作についてわかりやすいHP)
 
でも、確信はもてない。  
取り急ぎ、道端から安全な場所に
うつして 声をかけつづけながら
様子を見守りました。
 
数十秒〜1分ほど?
声をかけ続けましたが、
その間、私の不安は絶頂に。  
 
この状況は、救急車をよんだ方がいいのか?
本当にてんかんなのか?
もっと深刻な状況なら1分でも1秒でも
はやく救急車を呼ばなければ。
 
あたまの中で混乱しながら考え続け、
他に誰かに助けを求めます。  
 
その道は、人通りがすくなかった時間帯で、
通行人はだれもいない。
 
ふと前を見回すと、すぐ近くで
電気工事の作業現場で
交通誘導をしているおばさんが立っていた。
 
「あっ!」と思って、
おばさんに助けを求めようとしたら、  
おばさん、なんと、
今まで、私の方を伺って見ていたのに、
のに、のに、  
私が視線を向けると、違う方向をみて
完全無視!!!
 
え?!え?!え?!  
人が目の前で倒れているのに、
助けにこないの? っていうか、
人命より、自分のしごとが大事?
 
そもそも人通りまったくない道だよ、
だれも車も人もいないこの状況で、
無視する? とわたし、一瞬、呆然。  
 
それでも、私は声をかけ続け、
「救急車よびましょうか?」
「大丈夫ですか?」と。
でも、意識朦朧として反応なし。
 
ああ、どうしよう、と思ったそのとき、
男性が、はっと我にかえった感じで
意識を取り戻しました。
 
今までの状況を説明したところ、
「自分はてんかんだけども、
このところずっと症状はでていなかった」
という話でした。
 
んかんの意識消失だったということが
はっきりしたのは安心したのですが、
そのまま男性と別れて見送るには、
やっぱり心配な状況でした。
 
まずは、ご家族に電話をしてもらい、
状況を説明して迎えにきてもらってはどうか?
と提案しました。
 
ご家族にその場で電話をかけた結果、
家の人は、「近所なのでひとりで
帰ってこられるでしょう」
という判断だったようです。  
 
この一連の状況、さきほどの交通誘導の
おばさんも逐一目線をちらちらこちらに
ちらつかせながらみています。  
 
でも私と目線があうと、
さっと目をそらします。  
 
交通誘導ももちろん大事だけれど、
全然人も車も通っていない状況で、
無視するってどういう神経なんだろう?
なんなの?と怒りがこみ上げる私。
 
もし、仕事優先であるにしても、
電気工事をしている作業員の方は
他にも2名ほどいたので、
その方に声をかけるとか
なんとでもできるよね?  
 
男性に話を聞くと、
少し先を行った近所にお住まいとのこと。
 
わたし、赤ちゃんを抱えておりまして
家まで付き添うべきか迷っていたところ、
ちょうど電気工事をしている作業員の人が、
その場に来てくれてました。
 
作業員の方に事情を説明して、
家まで見送ってくれないか?
とお願いしました。
作業員の方は快く了解してくれ、
事なきをえました。
 
この出来事に遭遇して、
目の前で、倒れたり困っている人がいても、
「助けないで遠巻きにみている人」の存在に
激しく憤ってしまった私なのです。
 
できることがないかもしれないけれど、
「大丈夫ですか?」とか
「なにか手伝えることはありますか?」とか
一言声をかけるくらいできるんじゃなかろうか、と。
 
たとえ、誰かが付き添っていたり
看病してくれていたりしていたのだとしても、
その誰かは、他の「誰か」の手助けを
欲しているのかもしれない。  
 
私は目の前で困ったいる人がいたら、
一言、声をかけよう、と肝に命じたのです。