ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

サンタさんの経済格差。

サンタさん考

 

去年、チャリティーサンタに参加しました。        
 
チャリティサンタとは、
クリスマスイブの夜に
サンタクロースに扮したボランティアが、
小さなこどもがいる家に
プレゼントを届ける「サンタ活動」。  
 
各家庭から預かるチャリティー金(寄付)で、
世界中の困難な状況にある
子ども達の支援を行う「チャリティー活動」です。    
 
こどもたちも笑顔に、
世界中の困難なこどもたちも笑顔に
という取組に共感して
去年、参加したチャリティーサンタ。
 
クリスマスイブの夜に、本当にサンタさんがうちにやってきてくれました。
去年は1口2000円ですが、
3口の6000円を寄付しました。
純粋に満足しました。  
 
今年、運営事務局から
サンタをよぶチャリティー金額についての
アンケートがあり、
その後、チャリティー金額について
2017年まで2,000円を
2018年から3,000円(2,000円のチャリティー+1,000円の活動運営費)
とする案内がありました。
 
このことはおおいに賛成です。  
 
HPをみて、知ったおどろきの事実。  
 
2015年に、大規模な顧客調査を実施。
その結果わかったことは、
これまでにプレゼントを届けてきた子ども達の家庭は、
世帯年収が高めの層でした。
 
 
世帯年収でみると、
日本の子育て家庭全体の中央値は607 万円、
チャリティーサンタが届ける家庭の中央値は約800 万円。
 
世帯年収 300 万円未満でみると
日本全国では 13.1% 存在するのに対して、
チャリティーサンタの依頼家庭では
 6%しかいないことが分かりました。  
 
チャリティーサンタという取り組みに共感して参加したわけですが、
そもそも参加する段階で経済格差があったのだという事実を知り、
チャリティというのは結局なんなんだろうとクリスマスを前に考えてしまう私です。

 

時を経た思い出と価値。

昭和の職人さん

 

大正生まれ御年95歳の祖母から

譲り受けた腕時計があります。
 
手巻き式の腕時計と懐中時計。  
 
その昔、祖母が若かりしころ、
銀座の有名な時計店で購入したものらしいです。  
 

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大事に大事につかい、
いっしょに歳をとっていた時計だそうですが
いつのころからかうごかなくなり、
もうしばらく経ちます。  
 
この時計を修理したくとも、
修理にだせるお店がありません。  
 
数年前、阿佐ヶ谷にある
中村時計店にもっていったことがありましたが、
腕利きの職人さんが病気療養中のため、
修理がむずかしいと言われてしまいました。
 
先日、思い立って、調べてみたら
75年以上の歴史ある中村時計のお店が
この秋に店じまいをしたそうです。  
 
技術のある昭和の職人さんたたちが
どんどんリタイヤしてしまっているという現実。  
 
瀬戸内の島に時計の名医がいるそうです。
 
ほかの時計職人なら匙を投げる、
難しい修理もしてくれるというので、
“時計の名医”として全国に知られています。  
 
今を刻む時と思い出に残る時計

 

時計の名医いわく、  
 
時計いうものはね、その周りについとる思い出があるわけ。そういう時計はね、お金では買えんものなんです。お金で買えんものは捨てられんわけ。 ほしたら直して使いたい気持ちが起きるでしょう。ほいじゃから、捨てられない時計がいっぱい残っているということ、日本にね。それを直す人がいたら、来るじゃない。そう思わん?  
 
 
 
 
この時計が修理できれば、平成生まれの娘に譲ろうと思って
修理を依頼することにしました。

サンタさんの正体。

クリスマスツリー

 

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12月にはいってクリスマスツリーをかざりました。
長女が4才のときに、ニキティキで購入した
120cmのグルーバルトレード社のツリー。
 
季節ものは収納もかさばるで買うのを悩みましたが、
この時期になるとこどもたちが
よろこんで飾り付けするので
やっぱり買ってよかったと毎年思います。
 

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今年はかざってそうそう
ハイハイをしはじめた赤ちゃんに倒されまして、
今年は、上の部分だけかざることにしました。
倒れないように、お山のつみ木を足元にかざって。
 
 
次男のくつ下にはもうお手紙がはいっています。  
 
こどもたち、まだまだサンタさんを
信じている純粋な心、癒やされます。
 
と思いきや、小4長女が一言、
 
「◯◯ちゃんが言っていたんだけどね、
サンタさんって本当はお父さんなんだって!」
 
といういらぬ情報をくれるお友達。    
 
チャリティーサンタ
 

www.charity-santa.com

あなたは、サンタクロースが誰だか、知っていますか?

サンタクロースは、
クリスマスに赤い服を着て、
プレゼント配るおじいさん?
私達もはじめはそう思っていました。
 
でも、活動を続ける中で気がつきました
「サンタクロースは、誰かのために行動する想いやりの溢れる人」だということに。「世界中の子どもたちを笑顔にしたい」
そんな思いから、チャリティーサンタという活動は生まれました。  
 
 
この取り組みに共感して、
去年、チャリティーサンタに応募し、
24日のクリスマスに本当に赤い服をきた
プレゼントをもった サンタさんがうちに来てくれました。  
 
そのときのこどもたち、
現実と夢が同時にやってきたような 軽く放心状態でした。    
 
去年、本当にサンタさんがうちにやってきたということで、
お友達のサンタ情報は
いまのところ、我が家には通用しなかったのですが、
まだまだサンタさんの夢をみてくれるこどもたち。
まだまだ夢をみさせてほしいですね。

小学校の図工、個性を消すトラウマ。

小学校の図工

 

先日のこと、小2の長男
「茶色のクレヨンを学校に
もっていかないといけない」
と言いました。
 
「なんで?」 と聞いたら、
図工の授業で、
ザリガニを題材にして絵を描くという
授業があったようで、
先生から茶色のクレヨンを
指示されていたようです。  
 
わたしは、この時点で
違和感がありました。  
 
なぜザリガニを茶色で指定?
と引っかかりながらも、
そのまま時は過ぎました。    
 
そして、先週、小学校で
図工の展覧会がありました。
体育館に全学年の絵画や
木工作品が所狭しと並べられます。  
 
それぞれの個性ひかる作品をみながら、
思い出したこと。
 
それは、わたしの
小学校の図工のトラウマ。      
 
 
親の次に、 一番、
こどもの心に 影響をあたえるのは
小学校の先生だと思います。    
 
そして、わたしの図工のトラウマは
忘れもしない小1の図工の授業でのこと、
題材は先生の絵を描くということ。    
 
先生の顔をおおきく画用紙いっぱいに
絵を描いてクレヨンで色をぬって、
そして、背景の色をぬることになりました。    
 
わたしは、背景の色に
「むらさき」をえらびました。    
 
むらさきで背景をぬった絵を先生に
もっていったとき、言われた言葉。    
 
「もう一度、最初から書き直しなさい」    
 
でした。    
 
小1のわたしは、
なんで自分の絵が否定されるのか
わかりませんでした。    
 
先生の話では、
人の絵の背景に「ムラサキ」を
使ってはいけないと言われました。    
 
小1のわたしは、
なぜ「ムラサキ」を使ってはいけないのか
わかりませんでした。    
 
先生の言葉を断片的にたどると、
ムラサキは、死んだ人の色という
説明を受けました。      
 
そのあと、わたしは もう一度最初から
白い画用紙に先生の絵を描きました。    
 
そして背景の色をぬろうとして、
背景に何色を使えば正解なのかわからず、
その絵の前でずっと固まっていました。    
 
何色でぬればよいのかもわからず、
次にぬった色もまた否定されると思って
背景をぬることができませんでした。    
 
ずっと固まっているわたしをみて
先生は、先生の後ろには黒板があるんだから
黒板の「ミドリ」でぬったら? と言われ、
言われたとおりにミドリでぬりました。    
 
それが、小学校の図工のトラウマです。    
 
こどものこころをどんな色にも染めるのが
小学校の先生でもあります。      
 
そんなとき、思い出す絵本があります。    
きみのせかいは   どんないろ?  
 
 
 
 
 
 
「きみのせかいはどんないろ?
しばふでうつぶせになったら、みどり。
あおむけになってそらをみたらあお。
でもほかのひとにきいてみよう。
にわし、れんがつみのひと、ぎゅうにゅうやさん。
“きみのせかいはどんないろ?”みんなちがうこたえをくれるだろう。
あなたの世界はどんな色ですか?」  
 
こどもたちには
じぶんだけのじぶんの色をもっていてほしい。  
 
学校の先生に言われたから
その色にそまるのではなく、
じぶんが考えたじぶんの好きな色で
いいんだということを伝えたい。
 
今回の展覧会で、こどもの作品をみて、
ザリガニを「あお」や「水色」や
「オレンジ」や「茶色」で 勢いよくぬっていた
長男の作品をみて
微笑ましく誇らしく思いました。  
 
小学校の先生の責任の重大さを
しみじみと感じます。  

 

結局のところ、夫婦の秘訣。

気がつけば10年

 

スイート10なんていう
甘い響きはどこにもありませんが、
結婚10年目を迎えました。  
 
学生時代からの付き合いのわたしたち夫婦。
もう知り合って20年ちかく。  
 
新卒で社会人になった早々に
わたしが東京からはるか遠くの
宮崎県に異動となり
東京にいる夫とは長く
遠距離恋愛を続けていました。  
 
毎月、飛行機で行ったり来たり、
新卒のお給料は飛行機代に消え、
結婚しようとなったときも、
お互い貯蓄はゼロに等しく、
お金がなかったわたしたち夫婦。  
 
結婚指輪だけは、
なんとかふたりでそろえましたが、
婚約指輪なんてもらうこともなく、
でも、夫は、
スイート10には婚約指輪に引けを取らない指輪をプレゼントするよ、
なんて甘い言葉をくれましたが。
 
結婚10年となるいま、
まだその指輪をくれる気配はありません。笑
 
ほしいとも思っていないわたしなので
不満ではないのですが。  
 
結婚10年を迎えて思うこと。
 
目の前の些細なことで揉めもするけれど
こどももでき、思い出もふえ、
夫との共有できる想いもあり、
老後の夢もでき、
まあまあつつがなく仲良しで
10年やってこられた秘訣はなんだろう。
 
夫婦とは
 
こどもができ、育児と仕事と家事の間で
てんやわんやしていたときは
ずいぶんといざこざもありましたが、
5人も子育てしていれば
たいへんさはお互いじゅうぶんすぎるほどわかっている。
 
たいへんだという弱音ははきつつも
その上で相手のアラを責めるよりも
たいへんさを共有し労わり、
感謝の心をもつ方が有効な解決策だと
結婚10年目にしてようやく気づきました。
 
ここまでの道のり、
長かったような短かったような
夫婦ともに成長させられる
育児という名の険しくも未来のある山道。  
 
結局、夫婦は子育ての同志であり、味方なのだ。
夫婦は味方、これに尽きると思う。 

英才教育ママの行方。

好き放題書きますので毒にお気をつけください。

 

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本当にいるの?教育ママって

 

って、わたし、思っていました。
 
面白おかしいテレビの世界のことだと思っていました。
ですが、出会ったしまったのです。
超がつくほどの英才教育ママに。  
 
おなじ習い事(ピアノ教室)で
知り合ったママですが、
教育ママなうえに、お騒がせママ。  
 
毎年1度のピアノ発表会でしか
お会いする機会はないのですが、
その度に火の粉が降りかかってきます。
 
聞けば聞くほどこどもの教育に対する
一方的な情熱と妄信。
 
平日はフルに習い事でうまっているそうで
 
月曜日 右脳開発教室
火曜日 英語
水曜日 ピアノ
木曜日 プログラミング教室
金曜日 家庭教師
 
という具合にすべてお勉強系の
習い事がぎっしり詰め込まれています。
 
通っている幼稚園は
ナントカ式のお教室系幼稚園みたいで
その保育料もまた目玉が飛び出します。
 
もうテレビだけでしか存在しないと思っていた
超英才教育ママが実際にいることに
驚愕しております。
 
そして、年々会うたびに
そのママの情熱がエスカレートしています。  
 
幼稚園で英検◯級合格したとか、
IT業界で有名な経営者のキッズセミナーに
参加したとか。  
 
ピアノの発表会でおこなう
一言ごあいさつがあるのですが、
幼稚園生にして、
すべて英語でペラペーラで行っていました。  
 
いやはや、このうだるような教育熱、
どこまでいくのか、
他人ですが勝手に気になります。    
 
そのうえ、その教育ママはお騒がせママで、
毎年、毎年、発表会のたびごとに、
なにかやらかしてくれます。    
 
発表会でお財布なくして
警察を巻き込んで大騒ぎしたり、
発表会の日に、
幼稚園の行事とブッキングしたからといって、
それならば発表会を不参加にすれば
よいものの、
発表会に出たいからと、
先生が考えたプログラムの構成お構いなしに
自分のこどもの順番を入れ替えるように
押し通したり。    
 
かと思えば、今年の発表会は、
あり得ない理由で
当日の1週間前にドタキャン。
 
その理由が、
マンションの工事がはいっていて、
その日しか在宅の都合がつなかいから、
マンションの工事を優先するって。  
 
どーいう理由なんでしょう・・・
ピアノ発表会の日にちは
1年も前から決まっているというのに。
 
あいた口がふさがりません。    
 
こどもって親の背中をみて
育つもんじゃないかと思うわけで、
親のあるべき姿って
英才教育より大事にすべきことあるでしょ!!
と突っ込まずに入られません。  
 
そのママのご家庭は一人っ子。
 
「うちももっと収入があれば 
もう一人考えるんだけど、
教育費を考えるとひとりが精一杯」 
とおっしゃっております。
 
そのママの旦那さまはお医者さま。
ママも大手企業で働いています。
 
教育費どんだけー?
 
「毎日習い事だと送迎がたいへんですね」 
と言ったら
「うちはすべて自宅レッスンだから」
って。
 
どんだけー?
 
他人さまのお子さまですが、
将来が興味津々です。

育休の意義。

ありがたい育休と子育ての苦悩
 

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育休中、育児休業給付金をもらっています。
この給付金が支給されるたびに
(2ヶ月に1度)
がんばって働いてきてよかったと
思えると同時に
育休の意味、意義について
思いを巡らします。  
 
思えば、さかのぼること10年前、
長女の育休中、
育児休業給付金といえば、
給料の30%の給付金が振り込まれていました。
プラス復帰して6ヶ月後に
給料の20%×12ヶ月分が
振り込まれていました。
(当時はボーナス気分)
 
その後、給付金が増額され、
最初の半年は給料の67%に
引きあげられました。
さらに育休が最大2年に延長されました。
 
こうして時代のながれをみると、
育休中の経済面では手厚くなっています。  
 
働かずしても、こうして
給付金をもらっていると
働くというモチベーションというか
エネルギーが減退していることに気づきます。
 
じゃあ、このまま退職、
なんていう選択肢はもちろんないわけですが
子育てに専念できる時間と恩恵に
感謝しつつも、
育休という育児のための休業について
休みってついているけれど
育児超過勤務みたいなものよね、
と言った人がいて、
そうそう、休みなんていうけれど、
育児に休みなんてありませんから。
 
365日24時間こども優先ですから、
というちょっとした息苦しさも
感じたりもする日々です。  
 
でも、言い換えれば、育休という 
期間限定の主婦生活。

働いているときに比べたら
時間に追われずのほほんと暮らしています。

朝の忙しい時間にもこどもにも
あまり時間を急かすこともなく、
声をかけ、送り出すことができます。
 
朝、洗濯から掃除から朝ごはんの片付けまで
こなしていたワーママ中とちがって
家事はいつでもあとでできるからという
時間的余裕がなせる技。  
 
期間限定の育休
 
たまに子育ての息苦しさを感じつつも
育休中の恩恵を満喫している
なんとも自分勝手なわがままに気づく。
 
でも、 やっぱり期間限定だからかなと
思います。
 
復帰することが決まっていて、
限られた時間とわかっているから
復帰後の嵐のような時間を経験しているから
こどもとの今の時間を大切にすごそうと
意識しています。
 
上の子たちは小学生。
「おかえり」って 
うちでむかえられるのことの
ちいさいけれど、
それがおおきなしあわせだと
わかっているから。
 
やっぱり、戻る場所がある、
復帰できる会社があるっていう
安心感は特別なものだと思います。
 
何を優先するかは人それぞれ。
こどもとの時間を優先するために
退職するという選択肢もあるでしょう。
 
でも、わたしには、
嵐のような生活だとわかっていても
働く場所があるという安心感には
変えられないのです。
 
復帰するというゴールがあるからこそ
全力で育児に打ち込める。
期間限定だからこそ
今を大事にこどもと向き合えると
思っています。    
 
 
子育てという最強の経験
 
育休最大2年については、 
賛否両論あるようです。

長期ブランクがあると
キャリアが損なわれるという
意見もあるようですが、
長期的なキャリア形成を
考えていくのであればあるほど、
長いキャリア人生、
それはもしかしたら
30年や40年のうちのキャリアのなかで
期間限定の1年(2年)間を
わが子のために費やすって
そんなに惜しいものでしょうか。
 
子育てを通してわかること、
感じること、みえること、
すべての人生の幅をひろげるチャンスが
子育てにはつまっていると思います。
 
結局、仕事をとおして、
人として成長すること
それは育児をとおして、
人として成長することにもつながるし、
仕事において人から学ぶことは
育児をとおしてわが子から
学ぶことにもつながります。
 
わたしの仕事は、対人サービスであり、
いろんな年代の方、
さまざまなバックグラウンドの方に
対する専門的支援になります。
 
新人のころ、自分が新人で、 
子育ての経験がないのに、
専門職として年齢の上の方に接することに
とてもコンプレックスをもっていました。
 
でも、いま、こどもを育て、経験して、
みえること、わかること、感じることが
あります。
それは、どんな専門書にも
文字化されていないことですし、
子育てというかけがえのない経験から
学ぶことだといえます、
というかそうでありたいと切に願っています。