ワーママのミカタ

ワーママの見方と味方。ハレてもケでも子育て。

新卒時、奨学金という名の借金。

 

借金からはじまる新社会人
  
大学、大学院在学中に
奨学金を借りていた私には、
大学院を卒業した段階で
350万!という奨学金という名の借金を
かかえておりました。
 
新卒時のお給料なんて20万そこそこ。
社会人1年目に
350万なんて目のくらむような大金の返済。
 
当時の私にはそんな額の返済が
終わるだろう未来なんて、
一生来ないのではないかと
本気で思っておりました。
 
が、コツコツとノロノロと、
アリのようにコツコツと
亀のようにノロノロ
月々返済し続けた結果、
アラフォーにして
ようやく、ようやく、ようやく、
返済が終わりました。
 
 
足掛け約15年の返済。
 
奨学金返還完了証が届いたとき、
「ああ、ようやくおわったんだ」
と感慨深く思いました。
 
奨学金に対するなんとも言えない
感謝と義務を全うした達成感が
あふれでてきました。
 
大学進学について、
実家の経済状況からは
「国立大学」を条件に、
県外の大学に進学することができました。
 
経済的に裕福ではない
家庭状況を知った上で
奨学金を借りることを
決めたのは自然の流れでした。
 
大学で約4万円、
大学院で約7万円を
月々借りていました。 
卒業時、合計約350万。
 
奨学金を借りることに決めたのは、
自分の意思だったので、
新卒時350万の借金を
背負っていたとしても、
奨学金を借りたことに
後悔はなかったし、
親を恨む気持ちも
毛頭ありませんでした。
 
奨学金で何をしたのか。
 
生活の足し、
そして運転免許も取ったし、
旅にもたくさん行った。
 
当時学生の間で流行っていた
放浪の旅、バックパッカー
 
わたしも沢木耕太郎深夜特急にかぶれて、
中国、韓国、タイ、台湾といったアジアを
バックパックひとつもってのひとり旅。
 
そして、留学生の友人の家に
ホームステイしたり
フィールドワークで
タイの農村で数週間過ごしたり、
そんな旅の資金はいつも奨学金でした。
 
学生にとってのお金と時間の価値は
社会人になってからのお金と時間の価値とは
まったくちがうことは紛れもない事実。
 
いま、奨学金で借りていた350万が
手元にあったとして、
学生時代と同じような
時間を過ごすことも経験することもできない。
きっと、こどもの教育資金にまわすだけだろう。
 
こどもに同じ道を?
 
じゃあ、こどもには奨学金という
選択をさせるのだろうか?
と考えてみた時、
奨学金はアリではあるが、
正直、いまのところ正解はわからない。
 
 
奨学金を借りなくても良い経済状況だったら
何もあえて奨学金を借りることを
選択しなくてもいいと思う。
 
と同時に、こどもは経済的な不安や
心配など感じない安定した学生生活を
感謝するのだろうか。
その土台に親の努力を感じるのだろうか。
何不自由のない経済的に恵まれた生活のうえで
勉学できるしあわせに気づくときは
あるのだろうか、とも思う。
 
奨学金は借金にはまちがいないけれども、
奨学金を借りようと、
「借りた事実」が大事なのではなくて、
「返済できる責任能力」が大事なのであって、
たとえ、こどもたちが借りることになろうと、
返済を全うできる社会人に育て上げることが
私の使命なんだというところまでは
思考の整理がついている今。